私の本名をご存じの方、さらに弟の名前をご存じの方ならおわかりかと思いますが、私たち兄弟は「割と変わった」名前をしています。
父親が前「あまり見かけない名前を考えた」とどこかでこぼしていたのを思い出します。
その後、とある有名人の出現により私の名前は珍しくなくなったのが心残りらしいですが。

で。最近DQNネームがどうこうって話をよく目にします。
http://mamesoku.com/archives/2198105.html

うちの父親たちがこうだったのか?
というと、答えはNOです。
だから、人とは違う名前をつけようとすること自体はDQNではないと思っています。

父親たちは死ぬ気で辞書を引き、漢字を調べ、わたしに「どの家に嫁いだとしても幸せになる」画数で、さらに少し珍しいが読みづらくはない、意味を見てもとてもすてきな名をつけてくれました。
弟の時もそれはそれは大変だったようです。私の名前がすぐにメジャーになってしまった分、若干気合入っためずらし名前さんですが読めるしカッコイイと思います。

問題なのは、「自分(親)がよければいい名前」を子供につけようとすることだと思うのです。カワイイとか、カッコイイとか、そういうのって結局主観性で、私にとってみりゃダッサダサな名前だったりするわけです。
(今のところ友人たちにすごいのはいないから安心しておりますが…)

自分が同じことをせねばならぬのは何年後になるのか、検討もつきませんし、そもそも産むのかからすらわかりませんが、もし機会があれば、子どもが気に入ってくれるような、優しい名前をつけてあげたいなあと思います。

ところで30は区切りですしなんかお父さんもあげたい(酔っ払い状態)って言われたんですけど、うちはその金でお前らがいいもの食えよ買えよって思うんですよ。この気持をうまいこと日本語で伝えられぬものだろうか。はて。

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タイトルは山岡氏パクリ。

というわけで、30になってしまいました。
変わるのはアンケート項目への回答くらいになりそう。

真面目な話、自分は30にはなれないだろうと思ってました。
中二病ですねわかります。
ところが今、こうしてみると、結局あんまり昔と変わらない人間がここにいます。
いいんでしょか?
それでいいところと、悪いところがあるわけです。

例えば、自分は会社勤めで体をぶっ壊しました。
これはだめですね。
医者に「3年とか短いほうだよ」って言われたのでまだまだかかるそうです。
1年ちょい色々なものを耐えた結果がこれだよ!的な。
ここは声を大にして言いたい。耐えすぎるなと。

でも、会社勤めてることに文句はないですし、むしろ感謝してます。
お金をいただく、となると、使い方もやっぱり変わりました。
何より、自分のぺとぺと作ったものが人に使われているっていうのは、なんとも言葉に出来ないですね。
もちろんむかつくコトも沢山あるけど、その分日記にしていない楽しいコトだってたくさんあって、その楽しさがあるからこそ今続けていられる、ふらふらしながらでも立っていられる、そんな気がします。

今後ですが、武者修行をしたいです。

しかし、体調がアレなので、剣道とかでガチ武者修行はできません。
その分、何か他に自分から何かを吐き出す作業を行っていきたいと思っています。
というのも、最近は音楽聴いたりゲームしたりでInputばかりなんですね。
うちの学部って「Inputがあれば何かOutputがある」って物の見方を推奨していたので、今の状況は、風船に空気をいれていれて爆発しそうな感じなのです。
だから、何かで吐き出したい。そう思っています。
何がいいんだろうねえ?それはこれから考えるんだけど。

そんなわけですので、皆様今後もよろしく。

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